思い込み=妄想   

2011年 05月 08日

 人は悩みます。悩みのない人はおりません。人の悩みとは、自分の思い通りにならないということではないでしょうか。人は誰しも自己中心的に物事を考えることによって、悩むのです。恥ずかしながら小生もその一人ですが、こうなって欲しい。ああなって欲しいという思いから次第に思い込みになってしまい、その思い込みによって思い通りにならないことに悩み、妄想となって表れてくるのです。妄想ばかりを持ち続け行動できなくなるのです。何もせずにして善い結果がでるはずがありません。そして次第に妄想は嘘へと繋がり、現実を認識出来ない、物事を正しく見ることが難しくなってしまいます。人は弱いものです。常に何かを求め続けなければ生きて行けないのです。ではどうすれば善いのか。小生も含め私達はどうしても、結果ばかりを求めますが、求めるばかりではなく、何故悩み続けるのか自己に問うてみることです。そうすれば、悩み続ける私は、私そのままで生きていくしかないんだと気付くはずです。人はみんな悩んで成長していくのです。あるがままに物事を受け止めながら、前に進んで行くのです。前に立ちはだかった壁のような悩みから逃げることなく、全力でぶつかって行けばいいのです。ぶつかって疲れたら休めばいいし、しばらく寄り道してもいいのです。赤塚不二夫さんの漫画に「これでいいのだ。」と言うのがありましたが、小生は「何とかなるさ。」と自分に言い聞かせています。「これでいいのだ。」「何とかなるさ。」と声に出せば、少し勇気が湧いて来るはずです。結果は自ずと善い方向に向くはずです。
合掌 南无阿弥陀佛 善本秀樹拝

# by junshoji | 2011-05-08 16:13 | 住職日記

原子力発電所停止   

2011年 05月 07日

 東海地方で30年以内にマグニチュード8程度の地震が発生する確立が87%。これは東海地震が、今日明日起こっても不思議ではないということを示しています。昨日菅総理は、静岡県にある中部電力浜岡原子力発電所のすべての原子炉を、停止することを明言しました。これはもちろん東日本大震災ににより、致命的被害を受けた福島第一原子力発電所が要因しているのですが、菅総理にどんな理由があるにせよ、この度の決断・英断は高く評価されるべきだと思います。これから原子力発電所に対する考え方が大きく変わることは、間違いないでしょう。原子力発電所に頼らない、尚一層の努力、言葉だけではない節電行動力が求められ、国民一人ひとりの意識が変わっていくことを望みます。日本には今54基の原子力発電所があるそうですが、大地震は、こらから東海地方だけで起るのではありません。日本中どこで大地震が起こったとしても、何ら不思議ではないのです。日本国土から原子力発電所がなくなることを、そして次の世代が安心・安全に暮らせるようにと切に願うことであります。今の私達が、原子力発電所に頼らない決断をしなければならないのです。
合掌 南无阿弥陀佛 善本秀樹拝

# by junshoji | 2011-05-07 16:59 | 住職日記

立夏   

2011年 05月 06日

 立夏。この時期になると、日中も気温が上がり、冬物の服では汗ばむほどです。もう夏物に衣替えしようかと、いやまだ朝晩は少し寒いからもう少し後でと、気持ちが交錯しているところです。山あいの緑も日増しに濃くなり、黄砂が飛んでこないと深呼吸したくなります。連休にもかかわらず悲惨な事件がありました。まず、生食ユッケの食中毒事件。亡くなられた方々もおられ、食中毒の恐ろしさを改めて知らされました。昔は牛肉や鶏肉の生は食べるなとよく言われていましたが、最近は殺菌さえすれば良いという安易さが、調理の手抜きを生んでしまったのではないかと思います。安価な為利益追求ばかりを追い、食の安全ということがまったく頭にはなかったのでしょう。命を失うなどあまりにも犠牲が大きすぎます。接客サービスの良さと衛生管理は表裏一体でなければなりません。次に、米軍特殊部隊による国際テロ組織アルカイダ指導者の殺害。アメリカ社会特にキリスト教の中には目には目を歯には歯をという通り、イスラムとアメリカ社会との応酬は絶えることはありません。やられたらやり返すという思想はいつまでも終わることなく、限りがないのです。後には憎しみ、悲しみしかありません。佛教にはそういう思想はありません。佛法に争いはないのです。いずれの事件にしても、尊い命が犠牲になっていることだけは間違いありません。人間の愚かさを今一度感じずにはおれません。
合掌 南无阿弥陀佛 善本秀樹拝

# by junshoji | 2011-05-06 14:49 | 住職日記

子どもの日   

2011年 05月 05日

 今日は子どもの日。朝から比較的道路は車が少なく、スムーズに移動できました。この連休はあまり遠出せず、近くで連休を楽しもうという方が多かったように思います。昨日は車も人も多く出ていましたが、今日あたりはのんびりと自宅で過ごしておられるのか。東日本大震災の影響での自粛ムードもこの連休で払拭されたようです。昨日オープンした大阪ステーションシティには50万人以上来たとか。個々の経済活動が活発になってきたのは善いことでしょう。小生は、お金とはと考えると、お金は私一人のものではなく、元は周り回ってきた人のお金であると受け止めています。お金は蓄えるものだけではなく、使うものだと思っています。お金は生活の道具であり、使うことが、次の人に渡し回すことになるのです。これが本当の経済活動です。ご異議は多々あることと思いますがそう確信しています。連休中にパワースポットを求めて京都や奈良へ行かれた方がおられましたが、順照寺もパワースポットの一寺院です。阿弥陀如来さまの御前で手を合わせ、ナモアミダブツとお念佛を称えれば、必ず善いことがあります。但し幾つも求めるのではなく、ただひとつ、これが善かったと言えることを、見つけ出すのです。これが、本当のご利益をいただいたということです。パワースポットお寺はそのことを教えてくれます。
合掌 南无阿弥陀佛 善本秀樹拝

# by junshoji | 2011-05-05 13:04 | 住職日記

悪と善   

2011年 05月 04日

 世間では、善人、善い人、善いことをすれば必ず救われますよと説くのが通例でしょう。しかし浄土真宗の宗祖親鸞聖人は、悪人こそがまず救われると説きました。つまり世に言われる「悪人正機」説です。この悪人正機は字のごとく、まず悪人こそまず第一に佛さまに救われるということであります。これは、世間の常識、一般的な考え方から大きく外れます。それは何故か、世間では悪人というと私以外のこととして受け止められがちですが、本当はそうではなく、悪人=私のこと。小生はこのように受け止めさせていただいております。善人とは、善いことをしたからといって見返りを求めたり、知識や地位、名誉をあてにし、自分の力で救われていこうとする。善人であると勘違いしているのです。悪人、他の人が救われるのならば、善人、私が救われるのは当然と考えてしまうのです。悪人、私は佛さま阿弥陀如来さまにすがり、お念佛でしか救われる道はないと気付く者こそが、佛さま阿弥陀如来さまの願いそのものなのです。親鸞聖人の言われた「悪人正機」説は、なかなか理解し難いことですが、佛さま阿弥陀如来さまから見れば、善人も悪人もなくみないっしょなのです。「そのままの私でいい」と親鸞聖人はおっしゃっておられます。
合掌 南无阿弥陀佛 善本秀樹拝

# by junshoji | 2011-05-04 14:17 | 住職日記