2026年 04月 07日
おかげさまで
今日の朝日新聞「折々のことば」(鷲田清一氏)に掲載されておりました、落語家・五代目古今亭志ん生師匠の言葉をご紹介させていただきます。
「うれしい前にはきまって、心配事や悲しいことがあるんです。」
志ん生師匠は、若い頃は大変な貧乏で、稽古に通うにも寄席に出るにも歩くしかなかったそうです。たまにおあし(お金)がつくと、跳び上がるほど嬉しかったと語っておられます。そして、こんな小咄(こばなし)も残されています。
「金を拾うと嬉しいと聞き、畳に撒いて拾ったが何ともない。が、畳の間に消えた金を探しあてた時は有り難かった。喜びはその反対物から生まれてくると。」
この言葉に触れ、小生は深く頷かされました。私たちは皆、日々の生活の中で「嬉しいことばかりであればいいのに」と願いがちです。心配事や悲しいこと、苦しいことは、できれば避けて通りたいと思うのが人間の性(さが)であります。
しかし、志ん生師匠が仰るように、本当の「喜び」や「有り難さ」というものは、その反対にある「苦しみ」や「悲しみ」を経験してこそ、初めて深く味わえるものなのではないでしょうか。
仏教の教えにおいても、この世は「四苦八苦」に満ちていると説かれます。思い通りにならないことばかりの人生です。しかし、その苦しみや悲しみがあるからこそ、私たちは他者の痛みに寄り添うことができ、また、阿弥陀如来さまの温かいお慈悲の光に気づかせていただくことができるのです。
暗闇があるからこそ、光の温かさを知ることができます。悲しみがあるからこそ、喜びの深さを知ることができます。
今、もし心配事や悲しみの只中におられる方がいらっしゃいましたら、どうかこの志ん生師匠の言葉を思い出してみてください。
「うれしい前にはきまって、心配事や悲しいことがある」。その悲しみの先には、必ず阿弥陀如来さまのお慈悲に包まれた、温かな喜びが待っているはずです。
by junshoji
| 2026-04-07 14:04
| 住職日記


