2026年 03月 11日
東日本大震災15年
今から15年前、2011年3月11日。東日本を襲った、未曾有の大震災。あの日、テレビの画面に映し出された光景は、今も、私たちの脳裏に、深く刻み込まれております。
15年という歳月が流れました。被災地では、新しい建物が建ち、道路が整備され、一見すると、復興は着実に進んでいるように見えます。しかし、その一方で、今なお、約2万6千人もの方々が、故郷に帰ることのできない、避難生活を余儀なくされています。特に、福島では、廃炉という、終わりが見えない、困難な課題が、重くのしかかっております。
15年という時間は、決して、短い時間ではございません。しかし、愛する家族を、友を、そして、住み慣れた故郷を、一瞬にして奪われた方々の心の痛みは、決して、癒えることはないでしょう。その悲しみは、時間の経過と共に、風化させてはならない、私たち自身の記憶です。
この15年という歳月は、私たちに、「諸行無常(しょぎょうむじょう)」という、仏法の真理を、改めて、深く、突きつけております。当たり前であった日常は、決して、当たり前ではない。この世のすべてのものは、常に、移ろい、変化していく。私たちは、この、どうすることもできない、大きな流れの中で、生かされている小さな存在なのです。
では、その、生かされているこの命を、私たちはどう生きるべきなのでしょうか。
大震災で、多くの尊い命が失われました。その一方で、私たちは、今、こうして、生きております。それは、決して、偶然ではございません。亡くなられた方々の、無念の思い。その思いを、私たちは、自らの命の中に、深く、受け止めなければなりません。
「生かされている命」。それは、自分だけのものではない、ということです。多くのご縁と、支えの中で、今、ここに存在している命です。そうであるならば、この命を、自分のためだけに、使うことは、あまりにも、もったいないことではないでしょうか。
誰かのために、何かのために、この命を使うこと。それは、大それたことである必要はありません。困っている人に、そっと、手を差し伸べること。悲しんでいる人に、優しい言葉をかけること。聴いていくこと。自分の周りの、小さなご縁を、大切にしていくことだと思います。
その、一つ一つの、ささやかな行いが、亡くなられた方々への、何よりの供養・お供えとなるのではないでしょうか。そして、それは、巡り巡って、私たち自身の、生きる意味を、深く照らし出してくれる光となるはずです。
東日本大震災から15年。この節目の年に、改めて、私たちは、自らの胸に、問いかけたいと存じます。
「生かされている、この命を、どう生きるか。」
by junshoji
| 2026-03-11 15:55
| 住職日記


