2026年 01月 15日
ありがとうと南无阿弥陀佛
今日は、少し形を変えて、小生からブログを通して、法話をお届けします。
私たちは、日々の暮らしの中で、思わず「有り難いなあ」と感じて、自然と頭が下がる瞬間がありませんか。
道端に咲く一輪の花の美しさに心打たれた時。見知らぬ方から親切にしていただいた時。あるいは、家族が作ってくれた温かいお味噌汁を一口いただいた時。そうした時、私たちの心には、じんわりとした温かいものが広がり、「有り難い」という気持ちで満たされるのではないでしょうか。
そして、その「有り難い」という気持ちは、多くの場合、「ありがとうございます」という感謝の言葉となって、私たちの口からこぼれ落ちます。この「ありがとう」という言葉は、実に不思議な力を持っています。言った本人も、言われた相手も、心がふっと軽くなり、温かい気持ちになる。まるで、人と人との間に、見えない橋を架けてくれるような、そんな力があります。
実は、この「有り難い」と感じる心、そして「ありがとう」と感謝を伝える行いは、私たちが大切にしている佛教の教え、特にお念佛の心と、深く、深く、結びついているのです。
私たちは、日々、「南无阿弥陀佛、南无阿弥陀佛」とお念佛をお称えいたします。このお念佛は、一般に、私たち凡夫が、佛さまである阿弥陀如来さまに向かって、「どうぞお救いください」とお願いする言葉だと思われがちでございます。しかし、宗祖・親鸞聖人=浄土真宗の教えでは、その捉え方が少し違います。
この「南无阿弥陀佛」というお念佛は、実は、私たちからの一方的な呼びかけではございません。そうではなく、はるか昔から、今この瞬間に至るまで、阿弥陀如来さまの方から、この私に向かって、「心配しなくていいんだよ」「私がいつも、あなたと共にいますよ」と、絶え間なく呼びかけ続けてくださっている、大いなる慈悲のお声そのものなのです。
よくよく考えてみれば 、この広大な宇宙の中で、この私が、今ここに「いのち」をいただいている。そして、その「いのち」は、決して見捨てられることなく、常に佛さまの温かい光の中に抱かれている。その事実に気づかせていただく時、私たちは、先ほどの「有り難い」という気持ちと、全く同じ心境になるのではないでしょうか。
ただただ、頭が下がる。感謝の念で胸がいっぱいになる。その、阿弥陀如来さまからの呼びかけに対する、私たちの身口意の応答が、「南无阿弥陀佛」というお念佛であります。
ですから、「ありがとうございます」という感謝の言葉と、「南无阿弥陀佛」というお念佛は、その根っこにおいて、全く同じ「感謝の心」から生まれてくる、兄弟のような言葉なのではないかと感じています。
私たちは、弱い人間です。つい不平不満を口にしたり、感謝の心を忘れてしまいがちです。しかし、そんな時こそ、思い出してください。そして、実践していただきたいのです。
どんな些細なことでも結構です。「ありがとう」と、声に出して言ってみる。そして、「南无阿弥陀佛」と、声に出してお称えしてみる。
その感謝の言葉は、あなたの心を潤し、お念佛のお声は、あなたを支える佛さまの存在を思い出させてくれます。声に出して感謝し、声に出してお念佛をお称えする。この、誰にでもできる、しかし最も尊い実践こそが、私たちの人生を必ずや豊かで幸せなものへと導いてくれる、最も確かな道であります。
どうか、この「ありがとう」と「南无阿弥陀佛」という二つの宝物を、皆様のこれからの人生において、大切に、大切に、声に出し続けていただきたいと存じます。
最後まで読んでいただき誠にありがとうございました。
by junshoji
| 2026-01-15 16:42
| 住職日記


