臨終は我が家で
2012年 03月 19日
誰しも生きている以上、老・病・死があります。必ず老いて病気になり、いずれは死んでゆかなければなりません。その時は小生もそうですが、できれば我が家で死を迎える・往生したいものです。しかしながら現状は、病院で亡くなるというケースがほとんどです。望んでいないのに管を付けられ、胃に穴をあけられたりと、精神的苦痛を伴いながら死を迎えるのです。何故、病院ではなく我が家で家族に看取られながら、死ぬことができないのでしょうか。病院は病気を治すところであり、死ぬ場所ではありません。治る見込みのない病気であると医師が判断すれば、残された命を人間らしく家族とともに、暮らすべきだと小生は考えます。そのためには、最低限の痛みを取る等、在宅治療が必要です。臨終の際は、医師との連絡・指示が求められます。つまり、24時間体制の医療・医師が必要不可欠になってきます。人間らしく・安心して死んでゆける社会・医療の構築が今後益々求められることは間違いないでしょう。臨終は我が家・自宅で迎える。このことが近い将来、ごく普通・あたりまえになれば、死の受け止め方・考え方が身近になり、世の中も穏やかになると信じています。
合掌 南无阿弥陀佛 善本秀樹拝
合掌 南无阿弥陀佛 善本秀樹拝
by junshoji | 2012-03-19 18:11 | 住職日記